voyaju’s blog

書籍の全編紹介です

(8)悟りの風に吹かれて

師なるもの

 

木が朽ちれば、そこに根を張る若木があります。大木であれば、たくさんの若木がその朽ちた幹を踏んで育つことでしょう。どの世界にも、「心と技」を受け渡してくれる先生がいます。偉大な師ほど、自分を踏みつけて伸びていく後輩を、いつも待ち望んでいるものです。また、そのような師だからこそ、たくさんの優秀な生徒を、育て切ることが出来ます。

 

 もっとも駄目な先生は、生徒の卒業を喜ばず、ずっと依存させるように仕向ける先生です。依存させると金品などを運んでくれるからですが、魔境に堕ちた先生は確信犯となって、そのように生徒を囲(かこ)っていきます。

 

 麻原彰晃というオウム真理教という教団を作った犯罪者がいました。彼と、その弟子と呼ばれ可愛がられた若者たちは、「共依存関係」です。おそらく、心に傷のある若者が、その傷を舐めてくれる先生にどっぷりはまったケースだったのでしょう。

 

 共依存とは、例えば、尽くされる男と、尽くすだけの女性のようなものです。

 例えば、頼られることだけが生き甲斐の上司と、自分では何も決められない部下です。

 支配者と被支配者とでワンセットです。

 蓋を開けてみれば、卑屈さを舐め合って慰めあうだけの関係です。いつまでも日の目を見ることはありません。

 

 師は、成長を促す「肥やし」ですが、共依存関係は、成長を止める「毒」です。教えを請う者は、頼り切って奉るのではなく、敬して盗み切るような気構えがいいかと思います。

 

 道元禅師は、著書『学道用心集』のなかで、「正師を得ざれば、学せざるに如かず」と説いています。「命について学ぶのならば、正しい先生でなければ、学ばない方がましだ」という意味です。人の一生は長いようで短いです。この短い一生で、自分の中にある宝を発見することが出来るかどうかは、あなたが学びを請い願う「師」の力量にも大きく関係してくるでしょう。付け加えますが、たとえ、生きる師に出会えなくてもがっかりすることはありません。古人の書も、素晴らしい師となりえるからです。

 

 しかし出来得るなら、やっぱり正しい実践者と出会い、お付き合いすることをお勧めします。本だけでは全く気づけなかった己への理解が進むことでしょう。あなたが本来何者であるのか?という根本的な宿題を解きたいのならば、それが一番の近道かと思います。私もそうでした。そして、私の場合は、決して一人に拘(こだわ)らず、何人もの先生を師事してきました。それがよかったと、振り返ってみればそう思います。この広い世界には、沢山の良い先生が必ずいらっしゃるはずですから、あなたが発見して、疑問点を質問責めにすればいいと思います。誠実に、そして、オープンに情報を開示してくれるような方なら信頼が置けるのではないでしょうか?

 

 いい先生を見抜くために、大切なことを書いておきたいと思います。

 

 あなたが、自分の中に眠る「仏」を目覚めさせるためには、いくつかの条件をクリアしなければいけません。例えばそれは、これまでの人生で抱えた「心の傷」を癒していくこと。そしてまた、これまでの人生で背負い込んだ「こだわり」を手放していく事です。こだわりとは、歪んだ価値観のことです。魂は、輪廻を重ねますから、「心の傷」も、そして「こだわり」も、この人生で身につけたものだけではなく、過去世に由来するものも存在します。

 

 仏教では、それらをとくに区別する事なく、一括り(ひとくくり)に「執着」と名付けています。執着があると、物事を正しく思い、正しく見ることが出来ません。視野が狭いとも、色眼鏡をかけている状態ともいえます。「覚者」(かくしゃ)とは、その「執着のない状態になった人」と云うことが出来るかと思います。

 

 さて、正師とは、覚者であることが第一条件です。つまり、物事を真っ直ぐに見ることのできる人の事です。特に人は、己の「こだわり」という執着に気づくことが大変難しい。自分が、どのような「こだわり」を持っているのか考えてみても、なかなか思いつかないものです。そして、例え気づいているとしても今度は手放すことが出来ません。

 特に、何度も輪廻転生を重ねて、ぎゅっと握りしめて手放すことをしない「魂のクセ」とも呼べる根強い執着を手放すことは至難の技です。とても難易度が高い。

 

 力量ある正師とは、その「こだわり」を見抜き、そしてその歪みを相手に伝え、時に叱り飛ばし、時に諄々(じゅんじゅん)と説いて、相手がその「こだわり」を手放すことを手伝ってくれるような方です。いづれにしても、求めていれば、あなたに応じた先生が現れることだと思います。素晴らしい出逢いに導かれますように。

 

 弟子にとって、師とは踏んで肥やしとしていくものです。素晴らしい先生であれば、真理を求め飢え渇いている若者にとって、己がただ一塊(いっかい)の養分に過ぎないことをよく知っています。

 

 なぜなら、「真理」は決して不変なものではなく、後人によって、時代を経ながら、少しずつ進化されて受け継がれていくからです。進化のない真理など偽物だとよく理解しているからです。

 

 あなたを待っている先生が必ずいます。ゆっくりでいい。歩みを止めることなく、あなたが真実を求め続けることです。出会いまでの時が、ゆっくりゆっくりと満ちていくでしょう。

 

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